千鶴子・アレン
ハワイ大学太平洋・アジア研究学部准教授
日本戦略研究フォーラム季報 Vol.68 2016年4月
加害者対被害者のモデル
女性の性的搾取の問題は世界中で絶えることがなく、朝鮮半島関連だけでも、東南アジア女性たちに対する韓国内での性的搾取、韓国人女性たちが海外で経験する強制売春、北朝鮮から中国に脱北した女性たちの人身売買等の悲劇が、現在も進行している。しかし、韓国の市民団体や欧米の人権主義者たちは、1945年に終焉した日本帝国軍の慰安婦制度の下で、慰安婦として働いた女性たちの人権問題に力を注いでいる。昨年12月には日本政府と韓国政府が問題解決に向けた合意を結んだにも拘らず、その運動は日本政府からの更なる謝罪と補償を要求して、終わることを知らない。
慰安婦のためとされる人権運動の本質は一体何なのだろうか?アメリカ各地において、既に十近くの慰安婦記念碑や像が設置されているが、その原型とも言える2010年に建てられたニュージャージー州パリセイズパーク市の記念碑には、次のように記されている。
《日本帝国政府軍により誘拐された20万人以上の婦女子を偲んで。1930年代~1945年、「慰安婦」として知られた彼女らが耐え忍んだ人権侵害を、誰も気づかずに放置すべきではありません。人類に対する犯罪の恐怖を決して忘れさせないでください》
慰安婦たちは人権侵害の犯罪の被害者であり、加害者は彼女らを誘拐したとされる日本帝国軍だと断定している。ハワイ大学歴史学部の教授が著した『伝統と遭遇』(Traditions&Encounters)と題する世界史教科書は、アメリカの高校と大学の教養課程で広く使用されているが、第二次世界大戦に関する章の中で慰安婦に関して次のように記している。
《日本軍は14歳から20歳までの20万もの女性を徴用、強制連行して、「慰安所」と呼ばれる軍の売春施設で働かせた。軍は女性たちを天皇からのギフトとして兵士たちに提供したが、女性たちは日本の植民地だった朝鮮や台湾、満州、そして日本が占領したフィリピンを含む東南アジアの出身だった》
出典が明らかにされないまま、この教科書は「大部分の女性たちは朝鮮と中国出身だった」とし、「女性たちは一日20~30人の兵士の性的要求に応じたが、前線で軍人と同じ戦争の危険に晒されただけでなく、逃走しようとしたり性病に罹った場合は兵士によって殺され、戦争が終わるや隠蔽の目的で大部分は虐殺された」と書き進んでいる。軍がしたというだけでなく、天皇に言及することによって、日本国家権力の頂点が女性の人権剥奪と搾取を強いる計画に関与したことを示唆しているようだ。
浮き彫りにされるのは、残虐、無道な軍事国家日本が、無力な植民地や占領地の無垢な十代の女性たちを拉致し、性奴隷化し、最後は惨殺したという、加害者・被害者の二者の対立の構図である。獣のような日本軍によって罪のない乙女たちの人権と命が踏みにじられたという慰安婦の話は、悪による迫害を受ける善なる人々の伝説物語のように人の心に訴える力を持つ。しかし、この加害者と犠牲者の壮絶な物語は、果たして歴史の事実に忠実なのか?何故日本軍と女性たちのみで、関与したであろう他の人々は登場しないのか?この問題を論ずるにあたっては、今まで支配的だった二者対立の枠組みの問題点を明らかにしてきた、近年の韓国人学者たちの研究に言及せざるを得ない。以下、彼らの研究を通して、特に朝鮮出身の慰安婦たちの歴史の事実を明らかにしていきたい。
挺身隊との混同
加害者の日本軍と被害者の朝鮮人慰安婦という対極モデルは、実際は史実と異なる虚構によって強化されてきたが、その一つは「慰安婦イコール挺身隊」という偽りだった。女子挺身隊制度は戦時下での軍需工場での勤労動員だったので、日本軍の海外での慰安を目的とした慰安婦制度と混同することは通常は考えられないが、韓国において1991年以降名乗り出た元慰安婦たちは「挺身隊のおばあさん」と呼ばれてきた。まず、1990年に韓国で設立された慰安婦支援団体が「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)という名称を選んだからだが、サンフランシスコ州立大学文化人類学部のC.サラ・ソ教授は、そこに政治的意図があったことを推測する。韓国では「慰安婦」という言葉は、一般に朝鮮戦争以降の米軍のために性労働をした女性たちを意味して負の印象があったが、「挺身隊」と言えば日本の公権力によって徴用、動員された十代の女子学生という認識があった。慰安婦と挺身隊の混同・同一視は、日本帝国の公権力が植民地朝鮮の純粋な女学生たちを連行して慰安婦にした、という物語の形成に役立ったのだ。
ソ教授によれば、日本統治時代末期の朝鮮半島では、日本当局が未婚女性を性労働のために動員するとの流言があり、1944年に女子挺身隊制度が施行されて14歳以上の女学生数千人の動員が始まると、挺身隊に入ると慰安婦にされるという誤報が広まったという。後に述べるように、当時の斡旋業者が、工場の仕事という口実のもとに集めた女性を売春業者に売り飛ばすことが絶えなかったことが、流言の理由に考えられる。その後大韓民国の独立と朝鮮戦争を経て、日本統治時代の記憶が薄れてきた1960年代末、韓国の小説の中に、日本軍が朝鮮女性を赤紙で挺身隊に徴集して慰安婦にしたという話が出現して、混同が始まった。混同・混乱の歴史については、ソウル大学経済学部名誉教授の李栄薫の研究に詳しい。
1970年にはソウル新聞が、「挺身隊の総計は20万人で朝鮮からは5~7万人、その中から多くが慰安婦にされた」という、史料の裏付けがない記事を掲載したが、これが更に誤って伝わって、「日本軍慰安婦の総数は20万人」という説が出現した。1979年以後の韓国の国定歴史教科書は、日本統治時代末期に「若い朝鮮女性たちが戦争の前線に強制動員された」という文章を載せるようになったが、遂に1997年の教科書では、「朝鮮の女性たちが挺身隊という名の下に連行されて、日本軍の慰安婦として犠牲になった」と記すに至ったという。
李教授の指摘もあって、最近では韓国のメディアは挺身隊と慰安婦を区別しているが、挺対協は未だ改名をせず、混同を誤りとして認めたこともない。
戦時下の性暴力被害者との同一視
もう一つの虚構は、戦時中に日本軍に犯されたアジアの女性たちは全て同じ慰安婦の範疇に属するという考え方だ。慰安婦に関する誤った知識や見解は、1990年代から2000年に至るまでに形成されたが、この間に英文で発表された決して多くはない書籍や報告書が、国際世論の形成に大きな影響を与えた。まず、オーストラリア出身で香港・シンガポール在住のジャーナリスト、ジョージ・ヒックス氏は1995年に『性の奴隷従軍慰安婦』(TheComfortWomen)を英文で発表して耳目を集めたが、その情報源は、韓国人アシスタントによる、在日作家、金一勉氏の著した『天皇の軍隊と慰安婦』(1976年)を始めとした日本語図書や記事の英訳だった。
その金一勉氏は独自の調査や研究を行ったわけではなく、元毎日新聞の記者、千田夏光氏が1970年代初期に調査して書いた慰安婦に関する書籍等からの情報を繋ぎ合わせて、反日思想を加味したに過ぎない。更に国際世論が注目したのは、1996年、国連の人権委員会に提出された、ラディカ・クマラスワミ氏による「女性に対する暴力とその原因・結果に関する報告」に付随した、太平洋戦争下の朝鮮人慰安婦に関する報告だが、この報告書はヒックスの本を最も利用したのに加え、既に捏造だと指摘されていた吉田清次の『私の戦争犯罪』に現れる朝鮮女性に対する「奴隷狩り」すらも引用している。
ヒックス氏やクマラスワミ氏の問題は、稚拙な調査と事実誤認だけではなく、海外の慰安所に派遣されて日本軍を支えた日本人・朝鮮人等の日本帝国臣民の女性たちと、日本軍下の中国本土や東南アジアで兵士から性的暴行を受けた現地の女性たちを、同列に並べていることだ。この時期、日本の学会からは、中央大学の吉見義明教授の著書『従軍慰安婦』(1995年)の英訳版(Comfort Women)が2000年に出版されており、また広島市立大学の田中利幸教授が英文で『隠された惨事』(Hidden Horrors)を1996年に出版したが、これらの著作も女性たちの国籍や出身、日本軍との関係による線を引かないまま、人権侵害に対する日本帝国と軍隊の責任を追及して、加害者と被害者という二極対立の枠組みを強調した。
日本軍と接触したアジアの女性たち全てを同列に並べるのが史実に合致しないことは、韓国の世宗大学で日本文学を教える朴裕河教授の著作、『帝国の慰安婦』(韓国語版2013年と日本語版2014年)が指摘している。朴教授はまず慰安婦の発生、歴史とその役割という、本質的問題を問い直す。
慰安婦は1930年代に突然現れたのではなく、その前身は、明治日本の男性が軍人、官吏、商人として海外に単身派遣されたとき、心身を慰安してくれる「からゆきさん」として存在したと言う。九州の貧しい農村や漁村のうら若き女性たちが生活のために親から売られて、中国、東南アジア、ロシア等の海外の遊郭で働きながらも、日清・日露戦争の時代、愛国心を燃やして日本に経済援助さえした。台湾が1895年に、朝鮮が1910年に日本帝国の一部になってからは、その女性たちも帝国を支えるシステムに組み込まれるようになり、1920年代には、慰安婦の前身とも言える朝鮮女性たちが中国等の海外の遊郭で働いて、現地にいる日本人や朝鮮人男性を支えた。1930年代の日中戦争時からは、中国内の既存の売春施設の中から選択された施設が軍の指定を受けて慰安所となったので、そこで働いていた日本・朝鮮出身の女性たちは慰安婦になった。
太平洋戦争に突入して日本軍が東南アジアに広がると、多様なタイプの慰安所が東南アジアに建てられ、日本軍と接触を持つ女性たちも多様化した。日本人女性と、当時日本帝国臣民で皇民化政策下にいた台湾と朝鮮の女性は、軍が利用する慰安所で働き、悲惨な戦争を戦う日本の徴集兵たちを心身ともに家族のように慰め支えた。一方、日本軍によって征服・占領された中国本土と東南アジアの女性たちは、一過性または継続的強姦を受けたり、軍が違法で運営した慰安所での労働を強要されたりする等、戦時下の性暴力の対象になった。経済的な理由故に慰安所で働いた現地の女性もいたが、それは本来の意味の慰安婦ではなかったし、より低い位置を与えられた。
東南アジアにいた女性たちが受けた戦時下の性暴力の例として、1944年、当時のオランダ領東インド(今日のインドネシア)で、日本軍部隊が違法に運営した慰安所に連行されて、軍の上層部が慰安所を解散させるまでの3ヵ月間、継続的強姦を受けたオランダ人女性ジャン・ラフ・オハーンさんの体験がよく知られている。加害者たちは、戦後に戦犯として処罰されているが、この事件は、日本軍が慰安婦を強制連行した証拠としてよく引用されてきた。しかし、これは誤りで、ジャン・ラフ・オハーンさんは戦時下の性暴力被害者であって、慰安婦ではなかった。
慰安婦も性暴力被害者も、戦時下で性的搾取に苦しんだ。しかし、国籍や場所、そして日本軍との関係が違うために異なる体験をした女性たちを、同列に並べてしまうことは、軍隊と女性たち、加害者と犠牲者という、二元的構図を強化するのみで、歴史の事実を見えなくさせてしまう。日本軍と性的接触があった女性たち全てを慰安婦として扱ったことから、混乱が生まれ、解決と和解が困難になったと、朴教授は主張する。
更なる参加者たちと日本軍と慰安婦の関係の真実
更に問題なのは、加害者を日本軍、被害者を朝鮮人慰安婦とした対立の構図には他の人物たちが登場しないことだ。現実には、慰安婦たちを募集し慰安所を維持するため、多くの民間人が参加し協力した。最も重要なのは、朝鮮の女性を実際に募集・紹介した斡旋業者(ブローカー、女衒)と慰安所の主人・経営者たちである。斡旋業に関しては、日本では青山学院大学の宋連玉教授、アメリカにおいてはソ教授、韓国では李栄薫教授や忠南大学の尹明淑教授が明らかにしてきたように、日本に併合された当初の朝鮮では日本人の斡旋業者が多かったが、1920年代以降は多くの朝鮮人がカフェや売春施設等の職を斡旋するようになった。彼らは、貧しい農漁村の家庭の娘や若妻を経営者に紹介して仲介料を取ることを生活の糧にしていたが、無資格や無登録で営業したり、法外な料金を取ったり、工場か食堂の仕事だと欺いて、売春宿に売り飛ばす等の違法行為をしばしば行った。
1930年代から1945年まで慰安婦の募集に携わったのは、このような斡旋業者だった。また、性病検査や交通手段が軍によって提供された以外、慰安所の経営・運営は私人の経営者によってなされたが、経営者の多くが朝鮮人だったことが、2013年にソウル大学の安秉直名誉教授によって出版された、ビルマの慰安所を管理した朝鮮人の日記によって明らかになった。朝鮮人慰安婦たちの大部分は、言語の壁がない朝鮮人の斡旋業者の就業詐欺等を通して慰安所に連れて行かれ、朝鮮人・日本人の慰安所経
営者によって雇用・管理されて、後者を「主人」と呼んだ。この経営者たちが朝鮮人慰安婦を拘束し、指示に従わないと言って暴力を振るい、病気でも働かせ、妊娠すれば中絶させ、最後に日本が敗戦したと分かると慰安婦を置き去りにして逃走したのだった。よって朴教授は、軍は慰安婦に対して道義的構造的責任はあったが、直接的法的責任は、斡旋・経営の主体だった業者たちだったと主張する。
慰安婦制度を支えたもう一つの存在は、女性たちの家族であり社会である。当時の朝鮮社会は李朝時代の儒教規範と家父長制を色濃く残して、女性一般が蔑視・差別され、女子の就学率は低く、貧しい家庭でまず犠牲になるのは娘であり妻だった。困窮した父兄や夫は、前借金と引き換えの数年契約で、娘、時には妻や嫁を、斡旋業者や経営者に売り飛ばして、自らが生き延びた。斡旋業者が慰安婦候補を求めて村を訪れたとき、年頃の娘がいる貧しい家庭に案内した村長や村人たちも共犯と言えよう。
今まで支配的だった、日本軍と朝鮮人慰安婦の二者対立の枠組みを最終的に否定するのは、日本人兵士と朝鮮人慰安婦の関係の再考である。これまで多くの報告では、軍人による暴力や、日本人慰安婦に比べて朝鮮人慰安婦が下位に置かれて搾取されたという、上下関係のみが強調されてきたが、ソ教授は、日本人兵士と朝鮮人慰安婦の間のロマンスや結婚の約束に言及している。朴教授は更に踏み込んで、両者の交流の対等性や同士としての関係を強調し、また兵士たちも慰安婦と同様に、自己の肉体の自由も移動の自由もない奴隷状態だったことを指摘する。勿論、占領地では軍隊が権力を振るったので、兵士と慰安婦が全く同等だったとは言えない。しかし、兵士と慰安婦という人間レベルで見るなら、敵対や支配・被支配の関係ではなく、寧ろパートナーだったと言えよう。
問題は、日本が敗戦したとき、それまでパートナーだった記憶が恨みと恥の対象となったために、今日の韓国ではそのような過去は認められないことだ。
昨年以来、異常なほどの圧力が、朴教授に対してかけられている。2013年出版の『帝国の慰安婦』の内容が元慰安婦たちに対する名誉毀損であるとして、ソウル東部裁判所から34ヵ所の削除と元慰安婦への損害賠償を命じられただけでなく、11月にはソウル東部検察から刑事事件として在宅起訴を受けた。これは朴教授の筆の力が恐れられていることの証であり、既に複数の韓国人学者の研究によって揺らいでいた日本軍と慰安婦の支配・被支配という枠組みが、存続の危機に瀕しているということだろう。
偏見と誤謬に満ちた二者対立の枠組みに固執して反論者を抑圧するのではなく、枠組みから解き放たれて、歴史の真実をあるがままに見つめるならば、問題解決の道は自ずから見えてくるのではないだろうか。
【参考文献】
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朴裕河『帝国の慰安婦』(2014年、朝日新聞出版)
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