英文『小泉八雲書簡集完全版』Complete Letters of Lafcadio Hearn (Tokyo: Cengage Learning, 2018)の刊行について

 平川祐弘 東京大学名誉教授

 ラフカディオ・ハーン(一八五〇‐一九〇四)は手紙の名手といわれる。ハーンの没後二年、二巻本のLife and Letters of Lafcadio Hearn (Houghton, Mifflin & Company,1906, 『ラフカディオ・ハーンの生涯と書簡』)が出たとき、アメリカではこんな書評が出た。

「ウィットに富み、雄弁で、多様性があり、手紙に魅力という、えもいわれぬ何かを添えるあらゆる特質において、ハーンの手紙は、おそらくスティーヴンソンの手紙を除けば、近年比類のないものである。しかもハーンの幅広い頭脳をひきつける数多くの主題と絶えず変化してゆく手紙の地理的背景は、世の他の書簡集が滅多にもちえない内容となっている。」

バジル・ホール・チェンバレンは、西洋日本学の父と呼ばれハーンと一時期親しい友人関係にあった人だが、こう書いている。

「私の見るところ、彼の著書は会話に優り、彼の手紙は著書に優るといってよい。ハーンの名は、こうした魅力的な、さばかりの用意もなく書き流された手紙の中で、永く残るであろう。ホーラス・ウォルポール、エドワード・フィッツジェラルド、カーライル夫人などと並んで、英語で書かれたもっとも良き消息文の大家として記憶され、その手紙は版を重ねることであろう。文章家としては、実際、ハーンの方がこうした人たちより上である。彼の文体は彼の思考のあらゆる面を表現するよう出来ているが、その思考は詩的であると同時に自然科学的にも正確である。……」

しかしながら問題は、ハーンの最初の書簡集は、世間体を配慮して編集された、ヴィクトリア朝的な気配りの産物だったということである。『ラフカディオ・ハーンの生涯と書簡』を世に出した人はエリザベス・ビスランド(一八六一‐一九二九)で、ハーンのニューオーリーンズ時代からの親しい友人で新聞社の同僚だった女史である。すでにハーン研究者によって指摘されているように、ビスランドはハーンという日本解釈にパイオニアーの役割を演じた人の「いい顔」だけを世間に示そうとして、編集に際し母性的ともいえるような保護感覚を働かせた。すなわちビスランドはハーンの手紙を無害なものにしようとして、ハーンと不仲の人など何人かの個人にまつわるさしさわりのある部分――その中にはホートン・ミフリン社の編集長も含まれていた――をカットしたのである。不適切とプライバシーの名において、女史は日本と日本人の感情を害すると感じた箇所を印刷から除外した。そのほかにも金銭にまつわる事柄はすべて削除した。露骨な性に関する記述もすべて除いた。そのカットの仕方があまりに徹底していたものだから、アメリカの一批評家は、ビスランドが編集したハーンの書簡集は、ハーンの写真と同じで、顔の一方の面しか写していない、と苦情を呈したほどである。

今回、私ども在日のハーン研究者はこの「消毒された」ハーンの手紙を原文に復元し、かつ未発表のハーンの手紙を加え、英文『ラフカディオ・ハーン書簡集』完全版を世に問うこととした。ビスランド編のLife and Letters of Lafcadio Hearn (『ラフカディオ・ハーンの生涯と書簡』)とThe Japanese Letters of Lafcadio Hearn (Houghton, Mifflin & Company,1911『ラフカディオ・ハーンの日本時代の書簡』)は後に一九二二年に全十六巻のThe Writings of Lafcadio Hearn『ラフカディオ・ハーン著作集』(Houghton, Mifflin & Co.)のXIII、XIV、XV、XVI巻に収められたが、今回集めることができた手紙の数はかつての『ラフカディオ・ハーンの生涯と書簡』と『ラフカディオ・ハーンの日本時代の書簡』に印刷された手紙の三倍を超す数となっている。この新版『ラフカディオ・ハーン書簡集』完全版は、ハーンという複雑な性格の持主の知られざる面を読者に示すであろう。ハーンの日本との愛憎関係がここにはじめてその多様な形において示されることとなる。東洋と西洋との間で時にははげしく揺れ動いた問題のある人物像が読者の目に見えて来ることと信じる。

ハーンが書いた手紙の総数は、今のところわかっているのは、一五八四通で、そのうち五五九通はアメリカ時代(一八六九‐一八九〇)に、一〇二五通は日本時代に書かれた。ハーンの手紙のきちんとしたカタログはまだできていない。関田かおる女史はハーンの手紙の所在を確めようとつとめ、年代順のリストを宛名とともに作成しようとしているが、なおはなはだ不完全で見落としもあるのではないかとあやぶまれる。それでもその努力の結果、このたびハーンの手紙五一五通がはじめて活字化されることとなった(この中の一八九通はアメリカ時代、三二六通は日本時代に書かれた)、またかつて印刷されたが削除の多かった一三九通が復元されることとなった。今回のComplete Letters of Lafcadio Hearnの中でイタリック体で印刷された箇所はかつて省略された部分である。

ハーンの手紙の中でこのたびチェックできたのは九〇二通で、それらについてはハーンのオリジナルな手紙のコピーにあたることができた。貴重な手紙のコピーを提供された図書館・個人にお礼を申し上げる。しかしながら五五六通については、現物のコピーをチェックすることができず、すでにさまざまの書物雑誌に発表されたものを、そのまま印刷せざるを得なかった。私たちはコピーの入手になお期待を寄せているが、いずれにせよ、近いうちにハーンの全書簡一五八四通を公刊できるのではないか、と考えている。

ハーンの手紙のトランスクリプションの仕事の中心となったのはアラン・ローゼン教授で、川西進教授と私がさらにダブル・チェックし、註をつけた。センゲージ・ラーニング社のスティーヴ・松村氏には出版のお世話になった。刊行は二〇一八年が予定されている。