歴史戦場の慰安婦たち

秦郁彦

「正論」 2015年3月号

日韓関係の「奥の細道」は、いつのまにか氷結路にさま変わりしたらしい。氷河期に入ったと観察する人もいるようだ。なにしろ大統領ともあろう老女が、「千年の恨」を公言するくらいだから、氷が融けるメドがつかないのも当然か。

死活的な利害関係があるわけではないから放置しておけばよいのに、思うところあってか、安倍政権は低姿勢で無条件のトップ会談を、と呼びかけてきたが、朴槿恵大統領は動かない。

二〇一四年後半だけでも舛添東京都知事、森元首相、額賀日韓議員連盟会長が何とか女帝へお目通りがかない、トップ会談の実現を瀬踏みしてみたものの、「(過去の会談では)かえって関係は後退した」といなされ、元慰安婦の「名誉を回復し、納得できる措置を」とか「勇気ある決断を」と迫られ、引き退るしかなかった。

他にも戦中の徴用工への補償とか、産経新聞支局長の出国禁止と起訴など懸案がないわけではないが、慰安婦問題が解決しないかぎりトップ会談には応じないつもりらしい。

だが日本側は韓国側の具体的な要求がつかめないので、困惑している。韓国側は三年前の首脳会談で野田首相が李明博前大統領へ「人道的見地から知恵をしぼっていく」と約束したのがたたり、「知恵は出たか」とせっつかれるはめになっているのだ。

そもそも要求は「被害者」側から出すのが常識だが、当事者能力のない韓国政府は「加害者」の日本側から知恵を出してもらい、それを査定するしかないと判断しているのだろう。

査定に当たって、決定的発言権を持つとされる挺身隊問題対策協議会(挺対協)の要求は「慰安所で性奴隷」だった事実を認め「(日本の)国会議決による謝罪と賠償」、「誤った公人の発言禁止や教科書への記載」(『世界』平成26年9月号の和田春樹稿を参照)などだという。
日本政府は一九六五年の日韓基本条約で請求権問題は「完全かつ最終的に」解決しているとする立場から半官半民のアジア女性基金を通じ一人五百万円(うち三百万は政府支出)の「償い金」に首相のお詫び文を添えて六十人の元慰安婦へ支給している。挺対協は支配下の慰安婦たちへ「受けとるな」と指示したが、それに従った女性(ハルモニ)の数ははっきりしない。

いずれにせよ登録ずみの慰安婦約二百人のうち、現存者は約五十人にすぎず、八十代に達した彼女たちは韓国政府から約三百五十万円の一時金、毎月の生活補助金、無料医療、各方面からの寄付など物質的には十分すぎるほどの厚遇を受けている。日本からの「償い金」を二重支給された六十人はなおさらである。

朝日新聞の社説はあい変らず、「元慰安婦たちへの新たな対応を実現する工夫と努力を望みたい」「被害者らをいかに救済するかを中心にすえねばならない」(二〇一四年十二月三十日付)と提言しているが、「救済」の手法についての具体的提言はない。建前倒れの美辞麗句なのか、補償の上積みはやめて「被害者の心に届く謝罪」を工夫せよというのか判じかねる。

後者だとすれば、辞任前の朝日の木村社長と役員が慰安婦報道の不手際について、深々と頭を下げて謝罪した姿が記憶に新しい。だが似たようなお詫び会見のシーンはなれっこになっているせいか、「誠意を感じた」と評価する声は見当らなかった。

日韓事務当局の間で、日本の大使が元慰安婦たちが集団で住む「ナヌムの家」に出向き、謝罪する案も出たと聞くが、やめたほうがいい。慰安婦問題について気にいらぬ論評を書いた韓国人の研究者でさえナヌムに呼び出されて謝罪を強要され、土下座させられる先例がいくつもあるからだ。大使が出向いても「無駄なお詫び」例をふやすだけ、しかも謝罪は次の金銭補償要求を引きだす可能性が高い。

◇「帝国の慰安婦」を救済せよ

ナヌムの家に出頭させられたひとりに、朴裕河(パク・ユハ)(世宗大学日本文学科教授)がいる。彼女は二〇〇六年に刊行した『和解のために』で大佛次郎文壇賞をもらったが、二〇一三年八月に発行した『帝国の慰安婦』(翌年十一月に朝日新聞出版より日本語版刊行)は、韓国内で激しい反発を招き、ナヌムの所長と、九人の元慰安婦が名誉毀損、出版差し止めを求める民・刑事三本の訴訟を起こされている。請求金額は二千七百万円という高額だ。

また「朴を拘束せよ」「大学をクビにせよ」のようなプラカードを掲げたデモ隊が勤務先の大学へ押し寄せたと聞く。左派のハンギョレ新聞が「(彼女は)日本の右翼を代弁」と書いたくらいで韓国メディアの応援は得られそうにないし、版元の朝日新聞や左翼人権派も知らぬ顔を決めこんでいる。それでも彼女は節を曲げるつもりはないとブログで表明しているが、年末の段階でも検察の取り調べがつづいており、逮捕に至る可能性は捨てきれない。

では『帝国の慰安婦』や『和解のために』で示された朴の言説のどこが、韓国の反日派を怒らせたのか。恣意的になるのを承知のうえで、問題部分をきれぎれに拾いだしてみる。

「娘を売った父母と、少女を売り渡し引っ張って行った人身売買業者と、傍観していた隣人と少女を管理した女郎屋の主人」
「糾弾すべき〈犯罪〉の主体はまず業者たちなのに彼らはまったく名乗り出なかったし、責任を問われることはなかった」
「女への暴行は主として業者による」
「慰安婦の恨みは業者にも向けられたが、日本軍より(娘を売った)父さんがもっと憎いと語る慰安婦(金君子)がいる以上……責任を負うべき者が韓国内にいることは明らか」
「挺対協のとった行動は適切でもなく正しくもなかった」
「今でも米軍のための慰安婦の需要を作り続けている」
「自分たちの醜い歴史を顧みずに、日本に対して慰安婦賠償を要求するような偽善をしている」
「米下院が(二〇〇七年の決議で)韓国の味方についたのは、米国の慰安所問題を指摘しなかったからでしかない」

慰安婦問題の実像と急所をこれほど虚飾抜きでえぐった観察力には脱帽するしかないが、それだけに強烈な反発が起きたのもうなずける。

日本軍による「強制連行」を前提に運動を盛りあげてきた挺対協などの運動体にとって、親の身売りや悪徳業者への言及はタブー視されてきた「不都合な事実」であった。まして韓国軍や米軍の慰安婦を性奴隷呼ばわりされては、対日闘争の根拠が崩れかねないからだ。

だが彼女も反日勢力を煙にまく知恵も働かせ、「慰安婦は帝国主義に基づく性の収奪」という異次元の概念を導入した。ややわかりにくいが「他国に軍隊を駐屯させ、長い期間戦争をすることで(慰安婦の)需要をつくりだしたという点で日本は責任がある」とも書いている。

日本を免責しない形で批判をかわそうとしたのだが、同時に米国を筆頭とする欧米の帝国主義国家も同罪とされた。昨年八月五、六日の朝日新聞による検証作業で、慰安婦問題の本質を「女性の人権侵害」に還元した杉浦信之(編集担当役員)、吉見義明両氏の論旨と通底する一種の「統治責任論」と見なせよう。

統治下で起きたあらゆるトラブルは、コソ泥を取り逃したたぐいの些事まで国が責任を負えという主張だが、実効性とは無縁の逃げ口上かとそしられてもしかたあるまい。現在でも世界各地、とくにアフリカや中東などで横行している過酷な性犯罪や性虐待をいかに救済するかは焦眉の急務だと思うが、いずれも関心の対象外かと見受ける。

苦闘を強いられる現実から目を背け、当事者がほぼ死にたえた遠い過去の掘り起こしに向うのは、歴史戦争の武器として気楽に活用できるからだろう。ただし女性の人権侵害という旗印は、両刃の剣でもある。

国別に加害の程度を比較査定すると、韓国軍用や米軍用の慰安婦を動員し、ベトナム戦争で大規模な性犯罪事件をひきおこしたことが、女性たちの内部告発で明らかになっている韓国は、首位にランクされるかもしれない。

◇米本土が主戦場に

しかし国際情報戦では「自分のことは棚に上げて他を責める」のが定石である。放っておけばブーメラン効果をもたらすと警戒した韓国は先手を打ち、韓国系や中国系アメリカ人の組織も総動員して、国際世論の関心を旧日本軍慰安婦へそらせる宣伝工作を強め、想定以上の成果を挙げている。

豊富な資金の投入、選挙がらみのロビー活動、慰安婦たちの・顔見せ巡業・を背景に、カリフォルニア州グレンデール市など全米各地に慰安婦像が次々に設置され、「私は日本軍の性奴隷だった。日本軍は第二次大戦中に朝鮮などアジア各地(とオランダ)で20万人以上の女性を強制して性奴隷にした」という立札が横に立てられた。

こうした動きに対し、日本の外務省は消極的姿勢に終始した。事情を聞きにくる人がいると、在外公館は「日本は河野談話、村山談話などで何度も謝罪しています。謝罪文を読みたければ外務省のHPを見て下さい」式に応待したらしいが、逆効果を招いた。「謝罪を重ねたことはそれに見合う悪業をした」と受けとめられたのである。

見かねて立ちあがったのが、在米日本人の有志グループだった。ロサンゼルス在住の目良浩一氏(元カリフォルニア大教授)が組織した「歴史の真実を求める世界連合会」(GAHT)は、二〇一四年二月に「慰安婦像の設置は外交問題への介入で、地方自治体の権限を逸脱している」と連邦地裁へ提訴したが、八月に棄却されてしまう。

「なでしこアクション」(山本優美子代表)や「論破プロジェクト」(藤井実彦代表)は、主として米東海岸における慰安婦像の設置やホロコースト記念館での慰安婦の常設展示、「慰安婦は天皇から軍隊への贈り物」と記述したマグロウ社製教科書への反対運動を始めている。

少数だが、こうした在米日本人の運動に協賛するアメリカ人も出てきた。「テキサス親父」ことトニー・マラーノはグレンデール市議会に乗りこみ、日韓の紛争を無関係の米本土に持ちこむなと説き、さらに日本軍慰安婦像の横に米兵用慰安婦の像を併設せよと論じた。だが十三万人近い署名を集めた慰安婦像の撤去要請に対しては、ホワイトハウスから「連邦政府ではなく自治体の管轄です」と突き放されてしまう。

マイケル・ヨン(ジャーナリスト)のグループは、「慰安婦は売春婦以外の何ものでもない」「強制連行があったというなら、抵抗しなかった韓国の男性は世界最悪の臆病者ということを認めなければ」と皮肉り、「アメリカで慰安婦問題を大きくしているのは中国」との見方を提示する(『ザ・リバティ』二〇一五年二月号のヨン論文)。裏付けとして彼らが注目したのが、IWGレポートの存在である。

このレポートは二〇〇〇年の「日本帝国政府記録公開法」に基づいて委託された米国関係省庁の作業班が〇七年四月に議会へ提出した最終報告を指す。日本の戦争犯罪にかかわる文書は十四万ページに達し、重点項目のひとつとして「慰安婦の組織的奴隷化」を指定していたにもかかわらず、捕虜虐待や民間人の殺傷例は数十件見つかったが、慰安婦関連の文書は皆無だった。

序文でガーフィンケル作業委員長代理は、調査を促した在米中国系組織の「抗日連合会」にとって「失望的結果に終わった」とわざわざコメントしている。ヨンはこうした経過から米国を舞台にした歴史戦は、米・日・韓の仲を裂こうとする中国の策謀だと結論づける。

米連邦政府は尖閣をめぐる日中間の対立には日米安保条約の適用を表明するが、韓国については元統治者の日本が適当にあやしてくれという姿勢を崩していない。

もっとも女性の人権には敏感なお国柄だから、韓国や国連NGOの働らきかけには弱く、ヒラリー・クリントン国務長官が「慰安婦と呼ばず性奴隷と呼ぶ」よう省内へ通達したという話さえある。

さすがにトップが公言した事例はないが、昨年七月にはサキ国務省報道官が記者会見で「(慰安婦問題は)嘆かわしく深刻な人権侵害だ……隣国(韓国)との関係改善を進めるよう日本に促す」と語り、今年一月五日には、予告されている戦後七十年の安倍談話に触れ「(日本には)過去に公表された談話」があると述べ、安倍談話が村山談話や河野談話に示された歴史観を塗り替えないよう暗に求めた。

マスコミもニューヨーク・タイムズを筆頭に、歴史問題では概して日本にきびしい論調を展開しているが、ワシントン・ポストが二〇一四年八月に「韓国系住民への迎合は度を越している」と批判する社説を掲載するなど、風向きが変りそうな予兆も見られる。

どうやら慰安婦問題に象徴される歴史戦の主戦場は、米本土に移りつつあるようだ。母国のメディアに見切りをつけた左翼人権派が、米国と国連に軸足を移し失地回復を狙う動きもあってのことだ。

ロスの知人から届いた情報によると、一九九二年に「慰安婦と呼ばず、性奴隷と呼べ」と国連人権委員会に提唱し、粘り強く説得をつづけ成功したと著書で自慢する戸塚悦朗弁護士が、UCLA(カリフォルニア大学ロス分校)で学生へ強烈なアジ講演をやったとのこと。そして、全米の大学を歴訪する予定らしい。

小山という日本生まれだが米国で育った三十代の女性は、「脱植民地化を目指す日米フェミニストネットワーク(FeND)」を昨年夏に設立したが、インターセックス・イニシャテイブ代表の肩書も持つ。

「フェミニスト、レズ坊、オカマ、売春婦、両性体質など多彩な社会活動を扱う活動家」だそうだが、当面の任務は「在米日本人の・慰安婦・否定論者に反撃する」と題した最近の英文ブックレットでは、前記の目良、山本、マラーノ、ヨン各氏を槍玉にあげている。

そして「こうも頼りない素人同然の〈親日外国人〉をあてにするな」「彼らに騙される日本は世界から孤立していくだけだ」と気勢をあげる。

いわば敵味方が入り乱れての混戦模様となっているのだが、筆者は多正面戦争を避け、標的を韓国にしぼるのが得策と考える。米軍慰安婦を救済するための募金運動、朴裕河教授の救援活動などさまざまな知恵が浮かぶ。

◇慰安婦論争で見落された視点

慰安婦問題の本質を見きわめ、二十数年に及ぶ事実経過をたどり直す必要もあろう。そのうえで、短期、中長期の両面に分け、国際世論の啓蒙をくり返し、いわれのない誤認、誤解を解き、名誉回復をめざす粘り強い努力が求められる。しかし世代交代もあって、事実関係の認識でさえあやふやになっている傾向がめだつ。若い世代でこの問題に取り組んでいる日本人研究者は少なく、いても皮膚感覚が薄れているのが心配の種である。一例をあげよう。

好著『慰安婦問題』(ちくま新書)の著書でもある熊谷奈緒子氏(国際大学専任講師)は、昨年の十二月三十日付朝日新聞のインタビューで、次のように述べている。

旧日本軍が関与した慰安所で心身にわたり癒えないほどの傷を与えてしまった被害者へのおわびの気持ちを一貫性を持って伝えることだ。(中略)

日韓が協力し、女性が慰安所に至るまでの経緯や慰安所での実態など真相究明を急ぐことが大切だ。戦時中の資料の多くは破棄されたとされるがまだ精査されていないものが官庁には多く残されているという。首相がリーダーシップをとって関係省庁に調査をさせるのも一案だ。(下線は秦)

記事には「実態の究明 一刻も早く」の見出しが躍っているが、一読して筆者は一九九二年頃の取材記事かと錯覚した。つまり大事件発生の直後、全貌が十分につかめない段階で「急げ」と叫ばれた故事のくり返しなのである。朝日新聞の第三者委員会だった林香里氏の提出論文によると、全国紙四紙の慰安婦報道記事は三十年間に約二万二千件で、ピークの一九九二年だけで一千六百件に達する。筆者の記憶だと単なるニュースを除いた社説、コラムの論評の部類で、最多は熊谷氏と同様の認識に立つ提言だったと思う。

その頃名のり出た「被害者」はアジア全域で数百人いたが、お詫びの表現も同数ぐらい氾濫しただろう。今や韓国の生存者は約五十名(他地域は不明)、もはやお詫び洩れの人は数人いるかいないかだろうし、伝える方法もない。
「真相究明」もないものねだりのたぐいだろう。慰安婦の身の上話は今さら検証のしようもないし、文書・図書資料の所在はたとえば九二年に戦争責任資料センター等が学生や有志を動員し、国会図書館の全蔵書に当たり、慰安婦関連の記事がある戦記物の数千冊を点検したように、しらみ潰しの捜索が済んでいる。

もともと慰安婦関連の文書は戦中も戦後も秘扱いではなかったから、故意に隠したり破棄する理由はなかった。何とか強制連行の証拠を見つけたいと願う左翼人権派が、くやしまぎれに「まだ出てくる可能性はある」とすがりついてはいるが。

ついでに言えば、慰安所の管理は出先部隊の専管で、上級司令部や中央に届く戦時日誌や戦闘詳報の記載事項でもなかったし、軍属ではないから全体の名簿も作成されなかった。火山爆発が起きた御嶽山の登山名簿が存在しなかったのと同様である。探しても見つかるはずがない。

関係省庁は九〇年代に何回も調査をやらされ、うんざりしている。もう一度やってもIWGレポートの二の舞いではあるまいか。

だが熊谷流に初心へ立ち戻り、既存データを再分析する作業は必要だと思う。途方もない大仕事になりそうだが、参考までに視点を少しずらせ、この二十数年とかく見逃したり無視されてきた盲点をいくつか列挙しておきたい。

1慰安婦たちの身上話に第三者の裏付け証人は皆無

挺対協が「自信を持って世の中に送り出す」と序文をつけて一九九三年に刊行した元慰安婦十九人の証言集は、調査者の安秉直ソウル大学名誉教授が語るところだと「・強制連行・と最初から決めつけて証言集めをするような形だったので、運動からは手を引いた」せいか親族、友人、近所の人など目撃者や関係者の裏付け証言がまったくない。

たとえば金允心は「十三歳の時、友だちと三人でゴム跳びをしていたときトラックが来て、巡査と軍人に連行された」と証言する。ちなみに李貴粉も十二歳のときゴム跳び中に連行されたとそっくりの体験を語っている。事実とすれば、友人や近所の人など何人もの目撃者がいるはずだが、裏付けをとろうとした形跡がない。

常識を絶した体験談も少なからず登場する。二〇〇七年に米下院で証言した李容洙は「船で台湾に向かう途中、爆撃され爆弾が命中して修羅場となったさなか、甲板で軍人に強姦され処女を失った……台湾では経営者にたくさんぶたれ、爆撃の合い間に畑でも田んぼでもどこでも布をたらした囲いを作って軍人の相手をさせられました」と語り、聴衆の涙を誘ったという。

筆者の見立てでは、これまで流通してきた身上話は挺対協等の改作版が主流で、証言巡業中に聴衆の反応を見ながら修正しているようだ。今日はシナリオBで行けと命じる場面を目撃した人もいる。

それでも慰安婦たちの体験談は、絶大な麻酔効果を発揮した。宮沢首相は「筆舌につくしがたい」(一九九二年)思いで韓国大統領へ八回もお詫びをくり返す。河野談話(九三年)も「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいもので……心身に癒しがたい傷を負われた方々に対し心からお詫びと反省」を表明した。メディアも彼女たちの申し立てをほぼ無条件で受容するばかりか、「寄り添う姿勢」を強調する傾向は今も変わらない。その結果か、実情を熟知しているはずの業者を探し、証言をとる作業も着手しないままに終わった。

そして原爆手帳の交付でさえ第三者の証言を要するなど、かなり厳しい審査があるのにアジア女性基金は審査抜きで「償い金」を支払っている。

2主語の欠如

「強制連行され」や「だまされ」(就業詐欺)の体験記で、「誰が」「誰に」が欠けているのに、あえて問う人もいない現象がまかり通ってきた。関わったとされる村長、巡査、軍人の実名が明らかにされた例もほとんどない。

「性奴隷」が所有者(すなわち慰安所経営者)の名を覚えていないはずはないから、第三者のウラ取り調査を防止するために編集段階で削除したとしか考えられない。

3日本人慰安婦への無関心

筆者は拙著『慰安婦と戦場の性』(新潮選書、一九九九)で、慰安婦の総数を二万人前後と推計した。民族別は四(日本人)、三(中国では中国人)、二(朝鮮人)、一(その他)の比率で推定し、九割以上が生還したと判定した。

しかし最多の日本人慰安婦は、ついに一人も名乗りでなかった。元兵士たちは「さすが大和撫子」と感嘆していたが、そのかわり「被害者」は外国人女性だけかという錯覚を生んだ。

慰安婦問題が爆発した九二年頃、筆者は血まなこで情報を追っていた記者たちへ、「支局網を動員すれば日本人慰安婦は見つかるよ」と助言したが「日本人ではねえ」とためらい、乗ってくる記者はいなかった。

4朝鮮人兵士への無関心

日本軍には終戦時に朝鮮人の志願兵と徴兵をあわせ、11・6万人の軍人と12・6万人の軍属が所属し、慰安所に通った者も少なくない。

しかし朝鮮人慰安婦との交情を回想する元日本人兵士の談話や手記は多いが、朝鮮人兵士たちの体験談はほとんど紹介されていない。朝鮮の男たちは、同民族間なら気にならないが女たちが日本人の男に奉仕させられたことを心情的に許せないのだと聞いたことがある。

5女性の人権侵害には敏感だが男性のそれには無関心

日本の左翼人権派はこの二十数年、慰安婦問題の核心を強制連行→広義の強制性→性奴隷→女性の人権――の順にすり替えてきた。朝日の論調もほぼこの流れに追従したのであるが、女性の人権が朝日新聞の「第三者委員会の議論でほとんど取り上げられなかった」のが、林香里委員には不満だったらしい。昨年十二月二十二日の委員会報告とは一線を画した少数意見を、翌日付の朝日に発表した。

それによると、「委員会メンバーのうち女性は私一人であり、さらに女性の人権の専門家も不在」だったうえ、朝日の記者たちも「女性の人権という……問題意識を共有したりしていた形跡はほとんどなかった」のだという。語義の曖昧さはおくとして、ふしぎなのは彼女たちに男性と比較する問題意識が見られないことである。

慰安婦たちは兵士の数十倍、従軍看護婦の三倍以上という高収入を得ていた。年齢的にも少年飛行兵は十五歳前後、看護婦は十七歳で戦場へ向かった。

もっとも悲惨だったのは南方戦場へ行った八十万の陸軍兵士たちで、赤紙一枚で召集され内務班でなぐられ、いじめられたすえ、約八割が戦没する。うち六割は広義の餓死だった。一方、女性たちは非戦闘地域に勤務し、戦局が悪化すると早めに後方へ下げられたので、九割以上が生還している(秦『旧日本陸海軍の生態学』、中公選書、二〇一四を参照)。

勝者である連合国の軍事裁判は、強制売春→強姦→強姦殺害→集団虐殺と軽重の順で裁き、慰安婦の「苦情」は視野に入れなかった。今ごろになってむし返すと、「男性の人権侵害にも目を向けてくれよ」という声が出そうな気がしていたら「私は捏造記者でありません」と宣言した元朝日記者の植村隆氏が、私の人権を守ってくれと訴えているのに出くわした(1月10日付朝日)。

現在進行形ないし近未来における女性の人権を守る主張に異論は出まい。イスラム過激派のボコハラムのように誘拐した一〇歳前後の少女たちに爆弾を持たせ、遠隔操作で自爆させるたぐいの残虐極まりない非道行為は全知を尽くして根絶せねばならぬ。そのかわり、過去完了の故事にいつまでもこだわる気分は排したいものである。